データによるプロファイリング~自己情報をいかにコントロールするか
2020.11.02 (月) 2:40 PM
・NRIの機関誌、金融フォーカスが「COVID-19が導くDXへの挑戦」(9月号)を特集した。第1章で、山本龍彦慶大教授(憲法学)がインタビューを受けていた。テーマは、「憲法学からみたデータ活用が変える自由と民主主義」であった。その内容が興味深い。いくつかの論点を取り上げ、投資家として活用すべきこと、注意すべきこと、を考えてみたい。
・データを集めていくと、何らかの特徴が見えてくる。EU一般データ保護規制(GDPR)では、プロファイリングが規定されている。データを組み合わせると、特定の個人の特徴がかなりわかってくる。このプロファイリング(人物像の特徴抽出)によって、その人の趣味嗜好から考え方までが分かって予測できるようになるという。こうしたデータ利用が、監視資本主義につながりかねない。
・自分の行動が知らないところで検知され、それが集められて行動が予測され、何らかのアクションをとってくることは、ネット上の広告などによくみられる。路上の監視カメラでも、いざとなるとかなり追いかけられる。ここで大事なことは、自分が何らかの検索をするということは、すでにその情報が第三者にとられている。あるいは、外で活動するということは、その記録が残る可能性が高い、と常に意識しておくことである。
・通常の動きであれば何ら問題は起きないが、明らかな犯罪は別にして、1)感情がからんだり、2)お金が関わったり、3)知られたくない秘密があったりすると、それを悪用されかねない。ここをどう守るか。まずは、便利だからといって迂闊な行動をとらないことである。国としては、データの高度活用による社会福祉の向上と、自由と民主主義を守るための新しいルールについて、議論を深める必要がある。
・マイナンバーカードはなぜ普及しないのだろうか。わが家では家族5人がすでに所有しており、身分証明や、役所からの書類取得に便利に使っている。反面、運転免許証があれば十分、公的書類が必要になることは滅多にないので、特に困らないともいえる。それ以上に、マイナンバーの利用によって、自分の個人情報が知らない間に吸い取られるのではないか、簡単に盗用されて被害が及ぶのではないか、と心配しているようだ。
・欧州ではプロポーショナリティ(比例性)が重視されているという。個人情報を守ることは絶対であるとしても、過剰ではなく、目的に比例する限りにおいて、プライバシー権は制約されるという考え方をとる。公衆衛生や社会福祉における政策遂行において、正・反という硬直した二項対立ではなく、一定のバランスをとろうとしている。
・どちらか一方の利益を主張するだけでは、全体最適にはならない。山本教授は、ドイツのような「自己情報コントロール権」を基本的人権として認めた上で、データの活用とプライバシーの保護を体系化していくべしと提言する。
・データが生み出すプロファイリング(人物像)には注意する必要がある。プロファイリングが生み出すデジタル人格は、生身の本人ではない。データダブル(data double:データ上の分身)にすぎない。それによって、例えば信用スコアがつけられ、就職や社会生活にまで影響するようでは、社会の仕組みが危うくなる。
・筆者は、Facebookを楽しく利用している。自分の日記のようなもので、親しい人と情報を共有して、そのやり取りが面白い。こうした情報をFacebookの本来的サービスと関係ない目的にも使うことがある、と同社のプライバシーポリシーに書いてある。同意するか、しないか、と聞かれた時に、さほどの考えもなく同意すると答えてしまう。抱き合わせ的な情報利用の強要ともいえる。
・山本教授は、Facebookのやり方に対して、「ドイツのカルテル庁は、市場支配力を利用した搾取であるとして、競争上違反と考えた」と指摘する。Facebookがユーザーの情報自己決定権を侵害しており、国家はこれを保護する義務があると考える。
・我々は、便利なものを使う時、気軽に「同意する」をクリックしていることが多い。内容を読んでも、当面の利用に何ら問題がないように思える。しかし、どこかに思わぬ抱き合わせの了解が仕組まれている可能性がある。よほど注意する必要がある。かといって、使わないわけにはいかない。
・日本では、これまでのところ憲法の間接的適用という考え方がとられてきた、と山本教授は説明する。つまり、法律の制定や解釈を通して、民間企業の活動に間接的に制約をかける。
・これに対して、最近のSDGsやESGは憲法のような考え方に近いという。企業が自らの行動を社会的ゴールと整合性とり、ステークホルダーは、それを的確に評価する。機関投資家は、SDGsやESGに十分適合しない会社には投資を行わない。金融機関も十分なサービスを提供しないという方向に動きつつある。
・SDGsは、人権の保障を市場メカニズムに組み込もうとしている。これが実現するならSDGsは大いに魅力があると山本教授は強調する。憲法が求める価値を民間ベースで追及できるからである。
・では、必要な情報やデータは本当に得られるのか。適切に開示されるのか。情報操作が行われていないか。人々は、自分が好む情報を受け入れる傾向がある。プロファイルを特定して、そこに重点的に好ましい情報を流すということは十分ありうる。実際、米国の大統領選挙では行われている。このフィルターバブルは健全な競争を阻害する。
・もう1つはアテンションエコノミーの弊害である。ユーザーのアテンション(注意)を引き付け、その注目度を広告主に売るSNSモデルである。過度な刺激に乗せられないようにする必要がある。
・ほしい情報を追いかけると、実は先方の誘導に乗せられているかもしれない。パッと引き付けるようなコンテンツは、実は呼び水や撒き餌である可能性がある。途中で気づくこともある。しまったと思った時に、先方の手の内に入らないことである。
・ランサムウェア(身代金要求ウイルス)などに絡まれて、不当な金品の徴収に応じないことである。とりあえず済ませようとすると、後々とんでもないしっぺ返しがくることになる。隠すと足元をみられる。
・ここでも大事なことは、開示にある。一時の恥を覚悟で、開示してしまえば楽になる。妥当な責任をとればよい。投資家はとにかく早い開示を求めている。マーケットは織り込んでしまえば、それを許容する。くれぐれもデータに惑わされないようにしたい。